写真の意味は、写っている内容だけで決まるものではありません。
同じ写真でも、フォトフレームや余白、置かれる場所によって、
受け取られ方がまったく変わる。
そんな経験をしたことはないでしょうか。
本記事では、写真とフォトフレームの関係を「装飾」ではなく、
**意味を立ち上げるための「装置」**として整理してみます。
写真の意味は、被写体だけで決まらない
写真を見るとき、私たちは無意識のうちに「何が写っているか」に目を向けがちです。
人物なのか、風景なのか。
笑っているのか、真顔なのか。
けれど実際には、写真の印象を大きく左右しているのは、被写体そのものではありません。
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どんなフォトフレームに入っているか
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どれくらいの余白があるか
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どの高さ、どの距離で置かれているか
こうした置かれ方によって、写真は「記録」にもなり、「記憶」にもなり、
ときには思想のようなものへと変わります。
フォトフレームは、写真を守るための道具ではなく、意味の状態を変化させる存在なのです。
フォトフレームは「飾り」ではなく「装置」
一般的に、フォトフレームは「写真を飾るもの」と考えられています。
ですが、少し視点を変えてみると、フォトフレームは写真の意味を操作する構造物とも言えます。
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フレームは、写真と外界を分ける
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余白は、見る人の解釈を誘導する
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配置は、写真に役割を与える
つまりフォトフレームは、写真を保護するための「器」ではなく、意味を立ち上げるための装置なのです。
「置かれ方」そのものを切り出す、という発想
写真について考えているうちに、ひとつの疑問が浮かびました。
写真の意味を変えているこの「置かれ方」そのものを、いちどフォーマットとして切り出したらどうなるだろう?
そう考えて、あるフォトフレームのフォーマットをカタチにしてみました。
まだ、
何を入れるかも、
どう使うかも決めていません。
写真なのか、
言葉なのか、
あるいはイメージなのか。
ただ、
置かれるものと余白との関係によって、
言葉にしづらい思想や理念ほど、
ふっと立ち上がる瞬間がある。
その感覚だけを頼りにしています。
なぜ、あらかじめ「中身」を決めなかったのか
フォトフレームの中に、格言やメッセージを最初から決めてしまうこともできました。
ですが、
それをしてしまうと、
意味は固定されてしまいます。
思想や理念は、
完成された言葉として提示された瞬間に、
解釈の余地を失います。
だから今回は、
何を入れるかだけを決めない
という選択をしました。
意味は、
与えるものではなく、
関係性の中で立ち上がるものだからです。
正解は提示しない、という選択
この考え方が正しいかどうかは、正直、分かりません。
便利でもなければ、分かりやすくもない。
それでも、
写真とフォトフレームの関係を
少し違う角度から見直す
ひとつの視点にはなるはずです。
だからこそ、
いまは結論を出さず、
このフォーマットを
そのまま外に置いてみることにしました。
**考えるための「装置」**として。

※この考え方をもとに、
現在、実験的なフォトフレームの取り組みを行っています。
背景や経緯については、活動報告にまとめています。
関連記事(クラファンプロジェクト/活動報告)⇒https://camp-fire.jp/projects/903812/preview?token=1dcy0yuc&utm_campaign=cp_po_share_c_msg_projects_show
ウクライナ語訳と英語訳⇒https://note.com/keen_shark5500/n/n0aabcbdab1e4?app_launch=false

