その後、「転職しなきゃ、っていうけど、どうしたらいいのか…」って、
心の中で自問自答の日々がしばらく続いたのだが、救いだったのは、妻の理解だ。妻は以前から、ウチのような家族経営--いわゆるファミリー企業--にあまり良い印象をもっていなかった常識人だ。「そんなに悩むんだったら辞めたら?」と転職を快く勧めてくれたのだ!なんて理解のある妻だ!当時は心底惚れ直した。素晴らしい妻よ~ありがと~。今、考えると、世間知らずで、若気の至りという気もするが…。まぁ、要するに行動に移す大義名分が欲しかったのだろう。果たして、お仕事の神様がそっと背中を後押ししてくれるのを待っていた感じなのだ。
その時の自分を振り返ると、「自暴自棄」なんて単語で片付けられたくないけど、まぁ、言うなら「人生の負のエネルギー」を全力で吸い込み過ぎたらむせて、周りにワーワー挑発的な態度を無意識にとっていた気がする。ほんと、今思うとお恥ずかしい限りで穴があったら「イヤンイヤン、自分のバカ!」と入りたいくらい。まさに当時は「無駄にイケイケでいた」感じ。そう、いうなら、まわりに勝手に「喧嘩」を売っていたつもりが、実は自分に対しての戦争勃発だったんだな、これが…。
Rさんとの運命的な出会い
当時、トライアスロンにどっぷり浸かりつつ、仕事に対するストレスと不満、若さから来る?有り余る?欲求の塊を「これでもか!これでもか!」と、自分自身を痛めつけ(追い込んで)て喜ぶこと(トレーニング)で発散していた私は、人生を変える予感すらしないままとある週末、バイク仲間が集まる練習会に参加していた。
と、そこに颯爽と現れた当時見たことがない斬新なスタイルのボルボ車‼「いつかはアウディ」ならぬ「いつかは、ボルボ」だ。そして、現れたのが、まさかの無精ひげを生やし、ちょっと小綺麗な、この辺では見かけない雰囲気の少し怪しい中年男性だ。それがRさんだった。こんな見たことのない斬新すぎるかっけー車に乗ってこんな田舎町に現れるなんて、まるで『映画のワンシーン』のよう。
車のナンバーを見ると、練馬だ。「東京からここまでわざわざ練習しに来る?」「なんで?」と思いながらも会話を聞いていると、何と、姿かたちは日本人だが、日系アメリカ人らしい。それでイントネーションが少しおかしい日本語なのかっ!と合点が行くと同時に、その独特な雰囲気の「アメリカ人」に一気に興味が沸いた!そしてその風貌にも納得した。良く言えばちょっと都会的で「Don’t worry. 私ひとりでしっかり自立してますっ!」的な雰囲気を醸し、悪く言えば、「おしゃれに興味のないふつうの中年男」みたいな人。そして、今思えば運命的なものを感じたひとつに、彼の奥さんが私の姉と同じ小学校で同級生だったこと‼「世間って狭いな〜」と思いながらも、正直なところその時点では、私の心の中での“世間との狭さ”はほとんど気にせず、でも、まさかこの出会いが、私の人生を大きく変える「人生の転換点」となるなんて、その時は知る由もなかったのだ…。
次回予告
【実録・ぼくの人生ストーリー】es3:「円満退社」のはずが…若さと未熟さで迎えた人生のターニングポイント。
妻の一言に背中を押されて、ようやく一歩を踏み出した僕。でも「辞めたい」と思ったはいいけど、「その先」なんて、正直何も考えていなかった!その顛末は如何に‼
「今の仕事に限界を感じている」「新しい挑戦をしたいけど怖い」と感じている方、ぜひ次回の記事をお楽しみに!
次回の更新をお見逃しなく!
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